小2中1松江塾【初代公認】ママブロガー ゴン助の跳躍

一姫二太郎、目指せ自学モンスターまでの道!

近くにいる大人の影響はデカい。あまり好きではなかったけど尊敬できる大人だった父。仕事が好きで一生懸命な人が好きなのは、やっぱりそこからなんだろうな。

こんばんは。

 

今日は新中1娘の体調が戻らず、塾もお休み🛌💤

 

 

 

いくらか、のんびりした夕方と夜でした😌

 

 

 

そのまま旦那さんに子供たちを任せ、近所の美容院に駆け込み母のヘアーを無事に卒業式モードにしてきたのですが😁

 

 

 

そこの美容師さんが、とても楽しいオジサマで

 

 

 

色々とお話させてもらっている中で、子育ての事や自分の親との関係などなど

 

 

 

思うところが出てきたので、ちょっと書き残してみようと思います。

 

 

 

37才の子育て中と、子育てが落ち着いた10数年後で、また感じ方も違うかもしれませんし😊記録記録ー(⁠~⁠‾⁠▿⁠‾⁠)⁠~✎

 

 

 

 

〜⚠注意⚠ここから、亡き父との思い出話と自分語りが続きます.。◯

 

 

 

 

 

65才で肺ガンで亡くなった父に、私は親孝行ができたのやら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の父は、

 

 

 

高校卒業後には進学するより大好きな海で仕事がしたい!と

 

 

 

家族に黙って海上自衛隊に入るくらい

 

 

 

海が大好き、

 

 

 

自衛官の仕事が大好きな人でした。

 

 

 

時代劇も大好きで、

 

 

 

まぁ頑固で口下手で人の話(娘の話?)を聞かないガッチガチな石頭の親父。

 

 

 

思春期の時はそりゃーもう全力でぶつかってました(⁠~⁠‾⁠▿⁠‾⁠)⁠~

 

 

 

『娘(私)にあーだこーだ言う前に、あいつ(母)の行動を何とかしろよ!!』と、

 

 

 

3姉妹の中で唯一真っ向から反抗して、 

 

 

 

くっそ生意気な口を聞いて暴れていましたねー(遠い目)

 

 

 

でも、父が子供を大事にしてくれてるのは何となく伝わっていました。

 

 

 

いわゆる反抗期が来る前、

 

 

 

小学生の頃はほぼ単身赴任の状態だったけど、

 

 

 

船がこっちにいる時の休みの日には、

 

 

 

必ず『近所を散歩しよう』と誘ってくれて妹と私と1日中外で一緒に遊んでくれたし

 

 

 

数え切れないくらい、たくさん映画館に行って

 

 

 

帰りには必ず立ち食い蕎麦とかフードコートとか行ったり(ゴジラ好きなのも父の影響)

 

 

 

プールで泳ぎ方を教えてくれたり、海で泳ぐ時は気を付けろと教えてくれたり

 

 

 

自転車の乗り方も全部。

 

 

 

いま私が自然と子供たちにしている事は、思い返せば父からしてもらったことばかりです。

 

 

 

大人になってからは、

 

 

 

ぶつかってばかりいた時の名残りで

 

 

 

なかなか父と2人で話す機会はなかったけど

 

 

 

子供が産まれてからは、少しずつ歩み寄っていました。

 

 

 

年に数回だけだけど、お祭りの日に泊まりに行ったり、一緒に食事をしたり。

 

 

 

上の子が小学生になったとき、

 

 

 

父から、はじめて大人として褒められた言葉が今でも忘れられません。

 

 

 

『〇〇(旦那さん)も〇〇も、立派に子育てしてる。偉い。』

 

 

 

...というか、それまで未熟者扱い、子供扱いしてたってのは今でも納得いかんのですが🥸

 

 

 

...そんな父から、入院することになった、と聞いたのは

 

 

 

娘が小2、息子が2歳のときでした。

 

 

 

知らされた時には、もうカウントダウンは始まっていました。

 

 

 

入院していた1ヶ月の間、2〜3日に一回は顔を見に行って、週末には子供たちと会いに行きました。

 

 

 

入院する半年前にも『ずいぶん痩せたなぁ』とは思っていたけど、

 

 

 

入院中の父の姿は、もう小学2年生の娘には怖く写るかもしれない、と心配になるほど。

 

 

 

だけど、娘はいつもと変わらず『お祖父ちゃん、一緒にアイス食べよ』と2人で1個のアイスを分け合って食べていました。

 

 

 

笑っているのに、もう顰めっ面にしかならない父と

 

 

 

そんな父を怖がらず、一緒に過ごす2人の姿に、涙を堪えるのに必死でした。

 

 

 

お祖父ちゃんとの楽しい思い出と、孫との楽しい思い出を、2人にもっと与えてあげればよかった。

 

 

 

母と会うのが嫌だとか、ちょっと遠いから、と実家に行くのをやめた数回を、今でもすごく後悔しています。

 

 

 

私が父に最後にあったのは、亡くなる2日前でした。

 

 

 

もう、これが最後かもしれない、と

 

 

 

旦那さんと子供たち、4人でお見舞いに行きました。

 

 

 

いつもは病院につくと寝てしまっていた2歳の息子は起きていて、

 

 

 

父のオデコをペチペチ叩いてご挨拶して(嬉しそうに顰めっ面の笑顔になってました)

 

 

 

娘もいつも通り、もうあまり口が回らないお祖父ちゃんとお話してバイバイして

 

 

 

旦那さんもご挨拶して

 

 

 

私も『帰るね、またね。』と手を握って

 

 

 

そうしたら、父がギュッ!といつもと違う強い力で握り返してきて

 

 

 

それが私には、最後の挨拶に思えてしまって、私ももう一度ギュッと握り返して、

 

 

 

顔を見て、泣くのを我慢しながら『またね、』と言って帰りました。

 

 

 

その2日後の朝、病院から電話がありました。

 

 

 

65才、2回目の定年退職で、再就職先も決まっていて。

 

 

 

お医者さんには、入院する数ヶ月前には身体の不調はあったはず、と言われて

 

 

 

改めて、父は最後まで意欲的に動こうとする、本当に真面目な人だったんだなぁと思いました。

 

 

 

親としては素直に好きとは言えないけど(なにせ色々あった、色々と)

 

 

 

あんだけ家族のために働いて一生懸命だった人なんだから、

 

 

 

もっと穏やかでまぁまぁ幸せな老後があっても良かったんじゃないかなーと思ってしまいます。

 

 

 

早いよ、父。

 

 

 

いくら仕事好きだったからって、亡くなる直前まで働こうとするなよ\⁠(゚⁠ー゚⁠)

 

 

 

まぁ、父らしいと言えば、父らしい。

 

 

 

なんだかんだ、反抗しててもそんな父の姿が嫌いじゃなかったから、

 

 

 

大工の仕事が大好き!な旦那さんを好きになったり

 

 

 

楽しく真剣に仕事をしよう!がモットーの先輩を尊敬して、そうなりたい!て思ったり。

 

 

 

自分の根っこの部分にある感情は、やっぱり父の姿からきてるのかなー、なんて思ってみたり。

 

 

そして、今の自分の家族に目を向けたとき

 

 

 

私と同じ後悔を娘と息子にして欲しくないから、

 

 

 

2人には我慢しないで旦那さんに言いたいこと言って欲しいし

 

 

 

旦那さんにも『もっと子供と話しておけばよかった、聞いておけばよかった』と後悔して欲しくないから

 

 

 

娘に嫌われるの怖がってないで、思ったこと口に出して説明しろーーー!!って言ってるんですよね(⁠⁠‾⁠▿⁠‾⁠)⁠

 

 

 

生きてるうちに出来ることは全部しようぜ(⁠‾⁠▿⁠‾⁠)⁠?

 

 

 

旦那さんより先に逝く予定はないですけど、

 

 

 

私が娘たちと旦那さんの間を取り持つことが出来るのだって、生きてる間だけですからねー。

 

 

 

あと旦那さんだって頑張って働いてんだから、老後はのんびり孫だかなんだかと遊んで過ごして欲しいし。(仕事好きだから余計なお世話かな(⁠⁠‾⁠▿⁠‾⁠)⁠?)

 

 

 

ここまで書いてみて、

 

 

 

老後ってやつを過ごせなかった父への思いを、旦那さんに乗せちゃってるのかなーなんて思いました。

 

 

 

やっぱり、一生懸命に生きてきた人には報われてほしいじゃん。努力は報われてほしいじゃん。

 

 

 

もちろん、人の事だけじゃなくて、自分のこれまでの努力や行動も😁✨

 

 

 

そうそう上手くは行かないのが人生なんだろうけど、願うのは自由でしょー(⁠ノ⁠^⁠_⁠^⁠)⁠ノ🌟

 

 

 

〜思い出話、おわり。まとめ!!

 

 

 

子供にとって、近くにいる大人の影響はデカい。

 

 

 

だから、あまり好きではなかったけど尊敬できる大人だった父へお礼を言いたい。

 

 

 

子供が喜ぶ遊び方を教えてくれてありがとう。あの思い出があったから、子供たちにしてあげられてる。

 

 

 

1番の親孝行は、親より長生きすることだって聞いたことあるから、

 

 

 

私も一応、親孝行できたのかな(⁠⁠‾⁠▿⁠‾⁠)⁠?

 

 

 

 

 

 

さて、深夜のテンションで色々と書いてしまいましたが

 

 

 

人生いろいろ。私から見た父をこうして書いたように、

 

 

 

子供たちから見た母を書いてもらったら面白そうだなーなんて😁

 

 

 

娘か息子も松江っ子ブロガーになってくれないかな(笑)

 

 

 

そんな妄想をしながら、今日はここまで。

 

 

 

最後までお付き合いくださって、ありがとうございました😊

 

 

 

皆様にとって今日も良い1日になりますように。

 

 

 

〜おしまい。

 

 

私服の9割は上下ジャージで坊主頭だったのに、小学校の男子クラスメイトには格好良いと評判だった父。今でもナゾ(笑)