1個前の記事の続き。
娘が中学年まで使っていた学習机の椅子は、息子でもいけると判明。高さも申し分ないし、試しに文字を書いてもらえば「書きやすい」。よしよし。
そして、今日の自学の前に息子の言語化を聞いてみた。
きっかけは『エルの物語の解説が授業時間内で始まった場合、手を止め聞くべきか、そのまま進めるか』の迷いから。
先生に聞いてみよう、とLINEさせていただいてから、まず息子に聞く事があった、と気付きました。(本当に、ありがとうございます🥲)
忘れないために、息子が聞かせてくれた言語化をメモ。
・泣きべその理由⇨「わかんないから」
「自分には分からないから、やりたくない、てなる」「分からないのに、やっても無駄だから」
あとは、「ママが「自分で計算できる、している途中、わかる時にも話しかけるのが嫌だから」
・泣く自分について⇨「弱虫、カッコ悪い、ちゃんと出来るようになりない」
(息子が一番なりたくない・言われたくないのは、1位「バカ」2位「弱虫」)
・これからの授業、自学の進め方について
「授業のあとに、最後まで解くのは良い」(その日の内に終わらせたい、スッキリしたい?)
「授業内に先生の説明が始まったら先生のを聞きたい、そっちのが分かりやすい」
⇨来週から実行。
息子にとって無駄じゃないもの=「簡単な問題」
⇨簡単を増やすために、先生に教えてもらったり、ママが一緒にやるのは続ける。(「それがいい、そっちのがいい」と本人も納得)
〜
ここで、これまでグルグルどうしよう、と思っていた所からは脱しました。
それにしても。話している中で、親単科でもあった『課程=無駄』のワード?が出てきて驚きました。息子にとって『わかんない=正解という結果』が出ないから、『やる、解く(過程)=無駄』でやりたくない、と言う。うわぁ...
でも、ということは。手元にあるノートの内容を実践すれば(行動、過程をめちゃくちゃ肯定する!)大きく伸びるんでない?
そしてそして。息子に『わかんない=無駄と言うのに、その無駄(エルのプリントや、勉強自体)をポイッとしないのは何で?』と聞いてみれば
「ママだと安心する」「できるになるから、それ(ポイ)しない」と。
新しいエルに対しては、
「わかんない計算とかが出てくるかもだから、やりたくない」
でも、自分からプリントを持って1回は最後まで読む。なんで?
「前はできなくても、今回は、とも思うから。もう1回やってみたいなって思うから読む」「でも、わかんないから泣いちゃう」
思った以上に持っていた向上心。あと、詰め込みすぎかなぁ、こだわり過ぎか、と思っていた「その日の内に最後まで」に対して、そんな風に思ってくれていたことに、涙。
ママだと安心するってなんだよー(;∀;)
これ以上は、最初に書いた「分からないから泣く」に戻るので、ここまで。
これからどうするかは、決まった。
・思考停止だと察知してから口を出すまでの待ち時間。手が動き出したら、自分はお口にチャック。
今まで、母の考えでは「思考が止まっている場所・分からない部分」を口に出すことで、自分の躓きポイントを知って欲しいと思っていた。
息子からしてみれば、それは邪魔をされていると感じる事だった。(本人が一番言われたくない「バカ」にも近い受け取り方をされていた?)
・授業内の先生の解説、説明は自分達で進めず聞く。その後、エルを進めるか8枚プリントかは息子に任せる
・その日の内に解くのは変わらず
〜以上!
また煮詰まったら、息子の言語化をふまえて相談して、前に進めるよう頑張っていこうと思います。
それでは!寝るまであともうちょっと、
自学の伴走に残った家事やらあれやそれや、がんばりましょー🍀ヾ(・ω・*)ノ🍀✨️
つづく!!!!
泣く子は、伸びる!!!
(。•̀ᴗ-)b✧✨️